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	<title>古事記の証明</title>
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	<description>［神話テクストの生成機序を解明する］</description>
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		<description>● たとえば「富士山麓オウム鳴く」という…</description>
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			<![CDATA[ ● たとえば「富士山麓オウム鳴く」という文言がある。短文ではあるが、何某かの
ストーリーを形成している。しかも、このストーリーは、ほぼ実在の事物に基づく。
「富士山」も日本に存在し、「オウム」も少なくとも現在は日本に存在する。だが、
これは実景を文章化したものだろうか。「富士山」の麓に「オウム」が鳴いている。
そのような光景は有り得るのか。有り得ようが、有り得まいが、どちらでもよい。
文言の主眼は、「２．２３６０６７９…」という数字の並びの再現にあるからである。

● この場合、ストーリーは“乗り物”として機能していれば、目的を果たす。多少
ストーリー展開が唐突でも、さして問題にならない。むしろ、此処で重要なのは、
「サンロク」（山麓）という語形あるいは音形が、「３６」（サンロクと訓む）を再現し、
「オウム」という語形あるいは音形が、「０６」（オウムと訓む）を再現することだろう。
なぜ「富士」なのか、なぜ「オウム」なのか、なぜ単に「山」ではなく「山麓」なのか。
「富士山麓オウム鳴く」というストーリーを観賞しても、その理由は見えてこない。

● 古事記のストーリーが到るところ唐突であることは、純然たる学問レベルでも
アマチュア・レベルでも盛んに議論されている。その唐突さは、比喩的に言えば、
「富士山」の麓に「オウム」が出現する以上の唐突さである。凡そ研究たる研究は、
その唐突さ（神話性と言ってもよい）が出現する原理の解明に向かうべきであり、
その場合に必要なのは、「富士山麓オウム鳴く」の例から推し量って考えるならば、
解釈ではなく、同時代に存在した外部の体系的知識との“機械的な対比”である。

● 具体的に“機械的な対比”を繰り返せば、同時代に存在した体系的知識のうち、
どれが古事記に関係するか、どれが古事記に関係しないか、自ずと見えてくる。
本ＨＰは、その見えてきた結果に関し、先取りして報告することを目的としている。
中心的テーマは二つだ。一つは、【天皇の列順】（並び順）が、そもそも何によって
規定されているのか、という点。もう一つは、【古事記の固有名詞】は総じて何語か、
という点である。便宜上、二つのテーマをひとまず分けて記述することとしたい。

※写真は日本書紀（図書寮本）より




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		<dc:date>2010-08-30T00:22:06+09:00</dc:date>
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		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
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