安閑天皇の諱は日本書紀のみに出てくる。
「勾大兄皇子」と言う。つまり名前は「勾」だが、
これが、どんな語を表記するものかは以下参照。

●「勾大兄王子」の「勾」について
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090621/1245585232
●「山辺道勾之岡上」(崇神陵)の「勾」は「ܡܩܘܪܐ」
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090712/1247334911
●「和迩吉師」の「和迩」は「makara」(磨竭宮)
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090714/1247569746

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さらに安閑天皇が二十八宿の【牛】に比定されることの
傍証となる幾つかの事柄に関しては、以下のURLも参照。

●なぜ「鞆の如き完」と説明されるのか
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090622/1245596956
●「品太王五世孫」の必然性(ܦܡܛܐ)
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090620/1245450755
●「讃・珍・済・興・武」は「翼・軫・角・亢・氐」か
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090621/1245592459
●「沙本」(ܫܚ)と「佐波遅」(ܣܗܕ)
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090621/1245510283
●「佐波遅」(ܣܗܕ)は「Svati」を含意する
http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20090621/1245544322
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 本来は、結論ではなく、その結論が何処から導かれたのか、導く際の方法論に問題はないか。そういった点こそが重要なのですが、それらを体系的に叙述するには、多方面の予備知識の記述にも字数を費やす必要があり、また、それ以前に、そうした予備知識が必要とされる必然性に関しても議論しておかなければなりません。
 そのような下支えがあって初めて論が論として認知されるのですが、現状の私の労力の比重からして、これらは後回しにせざる得ないということをご理解いただきたく思います。当HPが現状において、天下りな記述に終始している点をお詫び申しあげます。